生年月日 | 2008年5月14日 |
現役期間 | 2010年 – 2013年 |
父 | ステイゴールド |
母 | オリエンタルアート |
母父 | メジロマックイーン |
通算成績 | 21戦12勝 [12-6-1-2] |
獲得賞金 | 13億4,408万円 (中央) |
主な勝ち鞍 | 牡馬3冠、有馬記念、宝塚記念 |
受賞歴 | JRA最優秀4歳以上牡馬(2012年) JRA年度代表馬(2011年) JRA最優秀3歳牡馬(2011年) JRA最優秀4歳以上牡馬(2013年) |
オルフェーヴルの軌跡
2010年(2歳)— 淡々としたスタート
オルフェーヴルは2歳時にデビューし、新馬戦(阪神芝1800m)を快勝。しかし、その後はホープフルS(当時オープン)で5着に敗れるなど、当初は突出した存在ではありませんでした。
2011年(3歳)— 三冠達成!黄金の輝き
この年、オルフェーヴルは「日本競馬史上7頭目の三冠馬」となり、その名を歴史に刻みます。
皐月賞(G1・中山芝2000m)
4番人気で迎えたレースでしたが、後方から豪快な末脚を発揮し、2馬身半差の圧勝。ここで才能が開花しました。
日本ダービー(G1・東京芝2400m)
道中は折り合いに苦しむ場面もありましたが、直線で抜け出し、2着ウインバリアシオンに1馬身半差をつけて快勝。名実ともに世代の頂点に。
菊花賞(G1・京都芝3000m)
直線で圧巻の加速を見せ、2着ウインバリアシオンに2馬身半差をつけて圧勝。史上7頭目の三冠馬に輝きました。
さらに年末の**有馬記念(G1)**では、古馬相手に完勝し、文句なしの年度代表馬となりました。
2012年(4歳)— フランス遠征と“まさか”の敗戦
日本競馬の枠を超え、世界の頂点を目指した年。しかし、オルフェーヴルの気性が爆発し、波乱の展開が続きます。
阪神大賞典(G2・阪神芝3000m)
このレースは「伝説」となりました。向正面で突然逸走し、最後方まで下がる。しかし、そこから驚異の巻き返しを見せ、まさかの勝利。ファンはこの気性の激しさに驚愕し、「怪物」と称されるように。
天皇賞・春(G1・京都芝3200m)
圧倒的な1番人気に支持されるも、直線でまさかの失速。14着という大敗を喫しました。この敗戦はファンにとって衝撃的なもので、「気分次第の天才」と言われ始めます。
フランス遠征・凱旋門賞(G1・ロンシャン芝2400m)
史上初の日本馬による凱旋門賞制覇を期待され、1番人気に支持されるも、直線でまさかの内ラチへ寄れてしまい、伏兵ソレミアに差し返され2着。この敗戦は「勝てたレース」と言われ、日本競馬界に大きな衝撃を与えました。
帰国後の**有馬記念(G1)**ではゴールドシップを撃破し、貫禄の勝利を飾りました。
2013年(5歳)— 最強のまま引退
この年は「引退ロード」として、日本とフランスでラストランを迎えます。
宝塚記念(G1・阪神芝2200m)
圧倒的な強さを見せつけ、豪快な5馬身差の圧勝。「完全に覚醒した」と評価されました。
2度目の凱旋門賞(G1)
前年の悔しさを晴らすため、再びフランスへ。エース級のリーディングジョッキー、クリストフ・スミヨンを迎えて万全の態勢でした。しかし、トレヴという怪物牝馬が現れ、オルフェーヴルは2年連続で2着に敗れました。
ラストラン・有馬記念(G1)
最後のレースで、オルフェーヴルは「史上最高のパフォーマンス」を見せます。直線で圧倒的な末脚を発揮し、2着ウインバリアシオンに8馬身差の圧勝。まさに伝説的な走りで競走馬生活を締めくくりました。
引退後と種牡馬としての評価
引退後は社台スタリオンステーションで種牡馬入り。
自身の気性の難しさが影響し、種牡馬としての成功は難しいと予想されていましたが、**エポカドーロ(皐月賞馬)やラッキーライラック(G1・4勝)**といった優れた産駒を輩出。ステイゴールド系の血統を後世に伝えています。
オルフェーヴルの魅力
✔ 破天荒な気性 — 逸走、暴走、ムラっ気…だがそれが面白い
✔ 異次元の脚力 — 本気を出せば世界トップクラス
✔ ドラマ性 — 強いのに時々負ける、だからこそ応援したくなる
彼は単なる「強い馬」ではなく、そのすべてが「ドラマ」でした。
競馬ファンの記憶に残り続ける“怪物”オルフェーヴル。
その輝きは、今後も語り継がれることでしょう。
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